自分で決めたことなのでしょうがないのですが、毎日の生活のほとんどが稽古場か劇場なのです。でもそれは演劇のために生きているというわけじゃなく、昨日よりも少しでもよく生きるために演劇は必要なんだ、と思っていたいからなのです。この作品の稽古をしながら、なぜかそんなことばかり考えていました。
それほどに、この劇からは人間の命や感情や運命、そして人々の「信じること」について、極めてシリアスにいろんな声が聴こえてくるのです。誰もが世界から必要とされているということを、この劇から知るのです。人としっかりと向き合いぶつかり、どこまでも触れあい話し合うということ。歴史を簡単に消し去ってしまうこの呆れた嘘ばかりの時代の中で、この物語が少しでも私たちのこれからの魂の栄養になればと願っています。 栗山民也
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無事に初日を迎える事ができて感謝しております。
時代や歴史的な事件が背景にある中でも社会の基本にあるのは家族であり、夫婦であり、その中でぶつかり合ってそれぞれの形になっていく、というのがこの作品の魅力のひとつだと思います。4人の演者で作る、ある家族の限られた世界観の話ですが、そこにある普遍的なところをお客様に感じていただきたいです。 眞島秀和
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歴史ある紀伊國屋ホールの力を借り、『月の獣』の世界観も、稽古場の時より数段、濃いものになっていると思います。寒い日が続きますが、劇場は暖かくて、なんだか炬燵の似合うような匂いがします。
家族とは何か…圧倒的な答えがないのはどの世界でも同じだと思います。この年の瀬に『月の獣』を観て、自分の中の家族の在り方をぜひ、探してみてください。 岸井ゆきの
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稽古場写真 |
セタはヴィンセントを家に招き、シチューをふるまいます。 |
稽古場写真 |
ヴィンセントの存在をなかなか受け入れられないアラム。 |
稽古場写真 |
母親のように彼をうけとめるセタ。 |
稽古場写真 |
ヴィンセントへの対応に関してぶつかりあう二人。 |
リチャード・カリノスキーは、アルメニア人である前妻の祖父母から迫害の体験談を聞いたことがきっかけで「月の獣」を書いた。ただカリノスキーはこの作品をアルメニア人の迫害そのものについてではなく、「その後の愛の物語」であり、この「愛」が作品を書く原動力になったと語っている。
ただし、いつの時代も愛は一筋縄ではいかない。この作品でも、愛にまつわる様々なすれ違いに苦しむ二人の姿が描かれている。理想の夫、理想の妻、理想の家族・・・そういった色々な想いと現実との差を埋めようと必死にもがく二人の姿は、時に痛々しく、時に滑稽で、そしてとてもいとおしい。 この作品の設定は100年も昔だけれど、今も毎日ネットやニュースではアラムやセタと同じようなことに悩み、もがいている人々の姿を伝えている。正解は一つではない。「こうでなければならない」「こうあるべき」、そんな考え方から離れられれば、様々な幸せの形が見えてくる。アラムとセタの二人が最後にたどり着く愛の形に励まされる人もきっと多いと思う。 浦辺千鶴
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